土浦の歴史

古代、土浦では摩利山・常名・木田余・田村・沖宿地区などで発見された遺跡から、自然豊かな土地で特に海や山の幸が豊富に採れたことがわかります。更に、これらの遺跡の調査によって14000年以上前の旧石器時代から土浦では人々が住んでいたことも分かっています。

約4000年から3000年前のものとされる上高津貝塚からは、霞ヶ浦から採れた魚や貝、動植物を採って暮らしていた様子が分かります。

弥生時代には土浦で稲作が始まりました。木田余・宍塚・永国などで集落が発見されている他、原田遺跡群は茨城県内でも大きい規模の集落が発見されていることでも知られています。その後、人口が増加したと見られ、多くの遺跡が発見されています。

 

鎌倉・南北朝・室町・戦国の時代では武士である小田氏がこの地域の権力を握りました。鎌倉時代に力を伸ばしましたが常陸国北部の佐竹氏との戦いに破れしたいに権力を奪われていきました。その後、人々は戦いの不安から仏教を信仰するようになり大聖寺や般若寺、東城寺、法雲寺などでその様子を知ることができます。

 

中世になると土浦という地名が資料に明記されるようになりました。

 

慶長8(1603)年、江戸に幕府が開かれると国内、外国共に戦いのない平和な時代が始まりました。この時代に土浦を支配していたのは土屋氏で四人の将軍に仕え、老中として30年以上の任務を果たしました。

この時代には交通網が整備され、水戸街道や水路など開設されました。その影響で、土浦の商業が発達し醤油の産地として有名になった他、旅篭や問屋などが街にあり、取引を行うためにきた商人などで賑わうようになりました。当時は水戸に次ぐ常陸国第二の都市として知られるようになりました。

 

江戸時代に商人で賑わっていた土浦ですが明治維新で大きな変化を迎えます。

政治の体制が大きく変わったことにより土浦藩から土浦県に変わります。そして統廃合で新治県の1部とされました。その後茨城県が作られ、明治22年に現在の土浦市の元となる体制が作られます。

 

戦時中は土浦でも霞ヶ浦海軍航空隊予科練習部等が設置されるなど、海軍中心の町になっていきました。

 

昭和15年(1940年)に真鍋町と合併したことにより、現在の土浦市が誕生しました。

 

昭和20年 (1945年) には第二次世界大戦によって、土浦市市街地も爆撃され多くの死者が出ました。

 

 

現代では業務核都市、国際会議観光都市となり国土交通省と共にバランスのとれた地域構成を進めたり、観光庁と一緒に観光を国際的にアピールするなど行政から多くの注目を集めています。


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